超現代語訳

川上村の吉野林業を学ぶ

これからの時代に活かせることを、
川上村と吉野林業の歴史に学びます。

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2020.06.17

■「川上村史 通史編」に学ぶ㉜ 晩年の土倉庄三郎

「土倉庄三郎」が亡くなる約10年前の明治41年(1908年)に妻「寿子」が病死、続けて明治44年(1911年)に長男夫人「容志子」も38歳の若さで亡くなり、6人の孫が残ります。(後妻の間にも6人の子女ができています。)

「庄三郎」は川上村大滝にて残った孫たちを引き受け、厳格な教育と躾を行いました。

履物を揃えるとか、神仏へ参ずる作法とか、日常の挨拶なども折目正しく教え、本を読み聞かせる時には、キチンと座り、膝に手を置いて聞かされたので、窮屈で楽しくなかったそうです。男子には、散歩に連れ出して、それとなく杉桧苗の育て方や、山林の枝打ちを指導しています。

山歩きのついでに蔦のまつわった木を見つけると、他人の山でも入って蔦を切らせ、一本の木の回生を喜びました。苗植えの人夫には活着状態を調べさせたり、木の生育の肥料は根元に置く下草であると、草刈りを入念に指導するなど、最後まで山のことを思っていたようです。

そして大正6年(1917年)7月19日、78歳でこの世を去ります。病名は髄性肝臓がん。生前、ほとんどの村民が「庄三郎」の重態を聞くと、家業をやめ神仏に祈ったといいます。葬儀の当日には、葬列が邸宅から墓まで続き、列に入りきれない人々は土倉邸の周囲を囲んだそうです。
川上村の吉野林業と土倉庄三郎
参照:「川上村史 通史編」歴史編第十二章 土倉庄三郎抄伝

画像:阪本基義氏提供 (洋装の土倉庄三郎夫妻)

 

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ひとまず「川上村史」の「土倉庄三郎」を辿ってみましたが、どんどん興味が溢れる人物です。さらにいろんな書物で深掘りしてみたいと思います。また、「吉野林業」と重ねて、広く知ってもらえるようにも努めてまいりたいと思います。


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