超現代語訳

川上村の吉野林業を学ぶ

これからの時代に活かせることを、
川上村と吉野林業の歴史に学びます。

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2020.06.17

■「川上村史 通史編」に学ぶ㉛ 土倉庄三郎とその子供たち

「土倉庄三郎」は慶応2年(1866年)に下市村・和田氏の娘「寿子」と結婚し、11人もの子供たちに恵まれました。

長男:鶴松
次男:龍次郎
三男:三郎 (旧縁 三重県滝野家入り)
四男:四郎 (横浜正金銀行支店長)
五男:五郎 (三島海雲と北京で雑貨貿易商日華洋行を設立)
六男:六郎 (七高時代に死去)
長女:富子 (実業家 原六郎妻)
次女:政子 (外務大臣 内田康哉妻)
三女:大糸 (医師 川本恂蔵妻)
四女:小糸 (医師 佐伯理一郎妻)
五女:末子 (日本興業銀行理事 青木鉄太郞妻)

このように「庄三郎」は当時の政界・経済界・医学界・在地の富豪等に縁者も多く、県下でも名声を博しましたが、明治後期になって急激に傾きつつありました。

「庄三郎」自身の派手過ぎる交際費・水陸開路・自由民権運動への投資・教育関係への出費・各地の植林経営、老いてからの地元への寄付援助等、枚挙にいとまがありません。また、60歳頃に、長男「鶴松」に家業を譲りますが、彼は山林経営を好まず、大阪や大陸で手掛けた事業は失敗し、大金を消費しました。次男「龍次郎」がはじめた「台湾」の植林もこうした失費の穴埋めにされてしまったようです。
川上村の吉野林業と土倉庄三郎
参照:「川上村史 通史編」歴史編第十二章 土倉庄三郎抄伝

画像:阪本基義氏提供 (土倉庄三郎夫妻と子供たち)

 

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長男「鶴松」が山林経営に没頭していたら、どうなっていたんだろうとは考えますが、後継者の選択とは本当に難しいものです。


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