超現代語訳

川上村の吉野林業を学ぶ

これからの時代に活かせることを、
川上村と吉野林業の歴史に学びます。

  • HOME
  • >
  • 超現代語訳 川上村の吉野林業を学ぶ

2020.06.10

■「川上村史 通史編」に学ぶ㉗ 土倉庄三郎と土倉龍次郎

「土倉庄三郎」が国内各地で造林を進める中、同志社大学を卒業した次男「龍次郎」が「台湾」での造林にも進出します。

「龍次郎」は大学在学中、同志社大学創始者の「新島襄」の影響を受け、早くから南洋開拓の夢を持ち、卒業の22才の時には、父「庄三郎」に「南洋雄飛への請願書」といった熱い気持ちをぶつけています。

「台湾」は熱地帯で高山が多く、高度によって熱帯、暖帯、寒帯の気象条件が混在していますが、当時の台湾総督府は、「庄三郎」の整然な造林、利用の計画を採用しました。

「龍次郎」は、明治35年(1902年)に1万町歩を借地契約して森林開発を進めます。人跡未踏の山奥で条件も悪く苦労の連続であったようですが、戦後は台湾の国有林となり、間伐も行われ、沖縄へ電柱として輸出されました。日本から輸出された「吉野杉苗木」の成木が、日本へ逆輸入されるまでとなったのです。

この美林も「土倉山」と呼び、台湾造林の歴史に刻まれています。
川上村の吉野林業と土倉庄三郎
参照:「川上村史 通史編」歴史編第十二章 土倉庄三郎抄伝

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


村史の「龍次郎」の記述はここまでなのですが、台湾の水力発電、カーネーション栽培、カルピス等々、色々と逸話のある方なので、いつかまた掘り下げてみたいと思います。

 

「龍次郎」が「庄三郎」の山林経営を継いでいたらどうだったのか、時間は戻りませんが、少し見てみたい世界です。(さほど山林経営を好まない、長男「鶴松」が「庄三郎」」の家業を継いでいます。)


最新の記事

アーカイブ

  •  

    • 2020 (57)
  • ≪■「川上村史 通史編」に学ぶ㉘...

    ≫■「川上村史 通史編」に学ぶ㉖...

    最新の記事

    アーカイブ

  •  

    • 2020 (57)
  • ページトップへ