超現代語訳

川上村の吉野林業を学ぶ

これからの時代に活かせることを、
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202006.10

■「川上村史 通史編」に学ぶ㉖ 土倉庄三郎の山林経営

「土倉庄三郎」は明治20年(1887年)頃から「小川郷」 (現在の奈良県東吉野村の一部)、「国栖郷」 (奈良県吉野町)や「多武峰」 (奈良県桜井市)、「宗檜郷」 (現在の奈良県五條市西吉野町の一部)、そして三重県尾鷲付近など9000町歩 (2700万坪、東京ドーム約1800個分)に植林しています。

翌年には「群馬県伊香保」の造林に精力を傾けます。この地は共有林野であったことなどから、反対も強く計画は縮小されるのですが、「土倉式造林法」として「密植」を行い、模範的な植林は注目を集めました。さらには「奈良県川上村」の人々を派遣して経営にも当たらせていますが、成功が認められるまでは長い年月を要しています。

明治32年(1899年)になると、「滋賀県伊香郡西浅井村沓掛」で200町歩の造林に着手します。5年と5万円(現代の価値で約5億円)を投じて、杉桧を交えた「密植」を行いました。今もこの山を「土倉山」と呼び県有林となっています。

同時期に、湖北「塩津」の植林も行っています。北陸線木之本駅から西8㎞のあたりで、こちらも約200町歩を5年間掛けて植林していますが、降雪で痛めつけられ5度に渡って「補植」したところもあったようです。

参照:「川上村史 通史編」歴史編第十二章 土倉庄三郎抄伝

 

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時代背景もありますが、「庄三郎」は常に『国家の為』として、各地で大規模な山林経営を行ったようです。

「林業」だけではありませんが、いつであろうと強力なリーダーシップが求められています。


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