超現代語訳
川上村の吉野林業を学ぶ
これからの時代に活かせることを、
川上村と吉野林業の歴史に学びます。
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2020.06.03
■「川上村史 通史編」に学ぶ㉒ 土倉庄三郎と奈良公園
「奈良公園」は明治13年(1880年)の堺県時代に制定されたもので、明治21年(1888年)には「若草山」「春日山」「花山」「芳山」などが編入されて壮大な面積となり、南側の「高円山」も国有林となりました。
「土倉庄三郎」は「花山」「芳山」の約200町歩(1町歩は3000坪、東京ドーム約40個分)について、明治28年(1895年)から十数年に渡って造林を手掛けています。それについて「庄三郎」は「奈良の地に植林を成功させることは、当地が万人の目につきやすいところから、私の何十何百の講演にも増して、植林の重要性を認識させるに功がある」と話しています。
参照:「川上村史 通史編」歴史編第十二章 土倉庄三郎抄伝
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古損雑木の伐材、杉桧の定植、その成長後の収入を公園の経営費の基本とするなど、200年の計画を行ったというスケールの大きいものです。「庄三郎」自身の山林経営面積は約9000町歩なので、容易い内容だったのかもしれませんが・・・。
「吉野林業」と言えば、奈良県南部の吉野のイメージになりますが、奈良県北部の「奈良公園」にも大きな関係があることを知っていただければ。