超現代語訳

川上村の吉野林業を学ぶ

これからの時代に活かせることを、
川上村と吉野林業の歴史に学びます。

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2020.05.31

■「川上村史 通史編」に学ぶ⑰ 土倉庄三郎と板垣退助

「自由民権運動」が活発化し、野党の自由党総理であった「板垣退助」が、明治15年(1882年)、岐阜市の演説会場で、一青年の刀傷にあい叫んだのが、『板垣死すとも自由は死せず!(吾死スルトモ自由ハ死セン)』です。

こんな有名な言葉の後にも、「土倉庄三郎」の名が現れます。

当時、憲法調査の為、政府中枢である「伊藤博文」が渡欧したのに対抗して、自由党副総理「後藤象二郎」から、野党側にも西欧先進国の憲法や議会政治を研究する必要がある、さらには、その外遊費用の調達に自ら成算があると、「板垣」に海外渡航をたきつけます。

しかし、この費用の出所が、政府側からの買収工作との疑念を持たれ、自由党内部や、対立する「大隈重信」から攻撃を受けることになってしまいます。

「後藤」のいう費用の出所を疑い、政府筋からの出資を避けた「板垣」は、これを「土倉庄三郎」にすがったのです。「庄三郎」は洋行費2万円余り(現代の価値で約2億円)をポンと払いました。

後顧の憂いなく渡欧できた「板垣」が、帰国後はるばる「川上村大滝」を訪ねて謝辞を述べたことは、村民に語り継がれています。
川上村の吉野林業と土倉庄三郎
参照:「川上村史 通史編」歴史編第十二章 土倉庄三郎抄伝

 

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まだ「土倉翁」マネーが唸る逸話は続きますが、全て土台には「吉野林業」の隆盛があるわけです。

「土倉庄三郎」の軌跡をたどり始めて、少し林業の話から逸れてしまっていますが、自身の信条を貫きつつも、「守不移」(庄三郎の座右の銘。移らないことを守る、他所へは移らないという意味。)で、「川上村」と「林業」に尽くした姿は偉大すぎます。


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