超現代語訳

川上村の吉野林業を学ぶ

これからの時代に活かせることを、
川上村と吉野林業の歴史に学びます。

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2020.05.30

■「川上村史 通史編」に学ぶ⑮ 土倉庄三郎の陸路開発

土倉庄三郎が、明治2年~3年(1869年~70年)頃に進めた、吉野川と沿道の水陸両路の開発における「陸路」について目を向けてみます。

 

当時、川原の石道や山の尾根道をつたい、生活物資や生業に必要な品物を求めて、上市村(現在の吉野町)にいたること自体が、川上村民にとっては大変な難行でした。

比較的近い、東川や西河(現在の川上小学校あたりです。)からでも10㎞余、遠いところでは30㎞余も歩き、往復に丸1~2日の仕事であったわけです。さらには降雨で増水すれば簡単に寸断されてしまったようです。

よって、「近路」「易路」を求める願いは強かったわけですが、その開発資金、技術、労力を考えれば、容易に着手できるものではありませんでした。

これに対し、「庄三郎」は山林所有者からの出資協力を求めますが、村内村外の所有者利害が複雑で、最終的には、当時の大阪府知事の助力もあって、明治16年(1883年)にようやく「五社峠道」(現在の吉野町から川上村への入り口ともいえる五社トンネルあたりの峠道です。)が幾多の苦難を乗り越えて完成しました。

水陸両路の開発のために、「庄三郎」が財産の3分の1を投入したと世間で噂されるほどのものであったようです。

しかしこの開発の結果、通行輸送が便利になると生活物資は小車によって運ばれて、その量は増し、要所での荷継ぎも円滑化し、川上村民の生活は向上、山林価値も上昇を辿りました。
川上村の吉野林業と土倉庄三郎
参照:「川上村史 通史編」歴史編第十二章 土倉庄三郎抄伝

 

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どれだけ良いものを生産しても、物流が成立しなければ、販路拡大はないわけで、「土倉庄三郎」が当時こじ開けてくれたこの道が、後の吉野林業の隆盛に繋がっていますね。

さて、現代において、ロジスティクスによるサプライチェーンマネジメントへの発展は重要なファクターです。現状の吉野林業には、こじ開けないといけないことが多すぎる・・・前を向いて進むのみです。


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