超現代語訳

川上村の吉野林業を学ぶ

これからの時代に活かせることを、
川上村と吉野林業の歴史に学びます。

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2020.05.30

■「川上村史 通史編」に学ぶ⑭ 土倉庄三郎の水路開発

土倉庄三郎は、明治2年~3年(1869年~70年)頃に、吉野川と沿道の水陸両路の開発を進めます。(近世中期には筏流送路自体は開通していますから、大改修となります。)

吉野川の難所を和田村(現在の川上村北和田←かわかみらいふ本社があります。)から宮滝まで、延長30㎞余の間の岩石を削り、河底をならし、筏を通りやすいようにするのです。俗に「川さらい」と呼ばれているものです。

もちろん当時にあっては「鑿(のみ)」と「槌(つち)」を主とする工作で、その困難さは言うまでもなく、約2年の日数と膨大な資金を必要としましたが、この費用のほとんどを庄三郎が出資しています。

筏(いかだ)は、上流から川上村東川までが「上乗り」、川上村東川から吉野町飯貝までが「中乗り」、以下、和歌山までが「下乗り」と言われ、筏夫は、大正初期の盛時には100人規模に達していたようです。

この開発は、村民の利便性はもちろん、山林や出材の経済価値を高めるものとなりました。
川上村の吉野林業と土倉庄三郎
参照:「川上村史 通史編」歴史編第十二章 土倉庄三郎抄伝

 

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そして現在の川上村。これを書いた令和2年3月15日は、原木市への出材のため、ヘリコプターの音が響き渡っていました。

 

ほぼ平地のない急峻な川上村の地形は、良材を生み出す地形でもあり、遥か昔からの出材手段に試練を与える地形でもあります。


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