超現代語訳

川上村の吉野林業を学ぶ

これからの時代に活かせることを、
川上村と吉野林業の歴史に学びます。

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2020.05.29

■「川上村史 通史編」に学ぶ⑬ 土倉庄三郎誕生

天保11年4月10日(1840年)、土倉庄三郎は三代目庄右衛門の長男として、大滝村(現在の川上村大滝)に生まれました。幼名は焏之助、幼少7歳のときに、人知村(現在の川上村人知)の上村勇造宅に居候して、手習いや、読書・算盤を習っています。

オランダ国王ウィレム2世が江戸幕府に開国勧告を行ったりしていた時代ですが、吉野の山村はまだ静かな生活にあけくれています。

嘉永6年(1853年)、14歳になると増口村(現在の大淀町のうち)の是助のもとへ、生け花や謡曲などを習いにに通っています。
庄三郎の受けた教育はそこまでで、後代の自由民権家、開明的な思想の持ち主として、世間を啓蒙推進するような端緒はどこから得たものかは、はっきりしていません。

16歳、17歳の青年時代からは、家業の山林業はもちろん、父の公職であった吉野郡材木総代を継ぎ、宇兵衛事件(材木方汚職事件)や、和歌山藩木材口銭の解決に尽力するなどして、いよいよ新政府から「吉野川水陸路御用掛り」を命ぜられるのです。
土倉庄三郎と吉野林業
参照:「川上村史 通史編」歴史編第十二章 土倉庄三郎抄伝

 

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嘉永6年(1853年) 黒船来航
嘉永7年(1854年) 日米和親条約調印
安政5年(1858年) 大老井伊直弼 日米修好通商条約調印~安政の大獄
安政7年(1860年) 桜田門外の変

幕末~明治維新の日本史と、土倉翁をリンクして考えたことはあまりなかったのですが、こうやってみるとすごい時代ですねえ。

文久3年(1863年)には奈良県五條で「天誅組の変」もあったわけですから、どんな思いで過ごされていたのかなあと、また別の興味をかきたてられます。


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