超現代語訳

川上村の吉野林業を学ぶ

これからの時代に活かせることを、
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2020.05.29

■「川上村史 通史編」に学ぶ⑫ 川上村と土倉家

川上村が生んだ第一級の人物として、「土倉庄三郎」をあげることに異論があるという人はいないでしょう。

土倉家のはじまりは明確ではないようですが、「大和武士交名録(1384年)」には、「土倉殿」の名が見え、「楠木正成」の三男・正儀が、地侍土倉殿の祖になったものと伝えています。
その後の記録は川上村「竜泉寺」に残り、寛永年間の平右衛門が「土倉家中興の人」と記され、その後平兵衛が三代、次が四郎兵衛、次が重右衛門、その次が、「庄三郎」の曽祖父にあたる「初代庄右衛門」を名乗り、以来祖父、父とも同名を襲名しています。

「初代庄右衛門」は川上村の太刀家から養子に入った人ですが、太刀家を辿ると、幕末の彦根藩士「長野主膳」にもつながります。(大老「井伊直弼」の攘夷論に影響を与え、謀臣とまで言われた「主馬」ですね。これはこれでまた話が長くなるので割愛です。)

さて、そんな土倉家ですが、文政12年(1829年)の「譲渡目録帳」にも51か所の山林などの記載があり、すでに莫大な山林を所有し、時流にのった山林家としての盛況が伺えます。

ただ三代目庄右衛門(庄三郎の父)のころ、飢饉が続き、川上村も逼迫がひどかったのですが、「助施米配布日記」にも残るように、上市の米屋から米を購入して施与し続けたとか、仁慈の行為は村民たちに深く感謝され、村の行事が終わっても、庄右衛門が立ち去るまで解散しなかったなどゆかしい話が伝わります。
そういう人でありながら、生活態度は質素厳格、家業の山林経営を熱心に研鑚を続けたようです。

このような父に厳格にしつけられたのが、「土倉庄三郎」であり、その後の家業を継承、実践躬行したのです。

土倉正三郎

参照:「川上村史 通史編」歴史編第十二章 土倉庄三郎抄伝

 

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現在の奈良県川上村大滝で生まれた「土倉庄三郎」は明治期における「吉野林業」及び「日本林業」の先覚者、指導者でありました。

村史通史編でたどる林業経済編が、「土倉庄三郎」の時代に差し掛かりましたので、同書の土倉庄三郎抄伝に頁を写し、土倉翁のことを深堀してみたいと思います。川上村の皆さんに聞く土倉翁は偉人そのものです。生い立ちをみるだけでもわくわくしてまいります。


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