超現代語訳
川上村の吉野林業を学ぶ
これからの時代に活かせることを、
川上村と吉野林業の歴史に学びます。
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2020.05.18
■「川上村史 通史編」に学ぶ⑤ 吉野林業「密植」の起源
写真は、川上村産吉野杉の赤柾フリッチです。
こういった材に出会うと、上品な優雅さに、いつも言葉を失って見入ってしまいます。この材をつくる、川上村の急峻な地形、雨の多い気候、そして地力、といったような自然の力とともに、『密植』『多間伐』『長伐期』といった吉野式林業の人のなす力があります。
はたして、200年~300年後の美しい材を、人が作り出すために吉野式林業はじまったのか、というところも気になって『密植』の起源について、色々調べてみますが、『川上村史 通史編』においても、
●人工造林が本格化した18世紀以降、当時の人工造林は、面積でなく植栽本数が基準となっており、費用削減のために密植を選択した。
●幼齢林の段階で立木を商品化するために植えることが目的となっていた。
となっています。
やはり起源は、『銘木』を創り出すためではないですね。
ただ、18世紀後半からはじまった樽丸生産需要で、大径木需要が一気に拡大し、酒をもらさずに運ぶために、年輪の整一性を保つ必要があることから、伐期の延長や、間伐が具体的な目的となっていったという流れがあります。
参照:「川上村史 通史編」林業経済編第一章
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100年先、200年先にできあがるものを、狙ってつくるなど途方もないことなのですが、樽丸需要~銘木需要を目指して、『撫育』と言われるまでの、とんでもなく人の手の掛かる育林方法が、ずっと守られてきました。
もちろんこれからも、守り続けなければなりません。